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最高裁判所第三小法廷 昭和62年(行ツ)6号 判決

大阪府藤井寺市国府一丁目三番四七号

上告人

津守光男

藤井寺市国府一丁目三番二八号

上告人

津守徳雄

右両名訴訟代理人弁護士

杉山彬

松尾直嗣

岩嶋修治

大阪府富田林市若松町西二丁目一六九七番地の一

被上告人

富田林税務署長

谷静雄

右指定代理人

竹本廣一

右当事者間の大阪高等裁判所昭和五九年(行コ)第六一号課税処分取消請求事件について、同裁判所が昭和六一年一〇月三〇日言い渡した判決に対し、上告人らから全部破棄を求める旨の上告の申立があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人杉山彬、同松尾直嗣、同岩嶋修治の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、これを是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、ひっきょう、原審の専権に属する事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。

よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 安岡満彦 裁判官 長島敦 裁判官 坂上壽夫)

(昭和六二年(行ツ)第六号 上告人 津守光男 外一名)

上告代理人杉山彬、同松尾直嗣、同岩嶋修治の上告理由

原判決には、左のとおり理由不備及び理由そごの違法がある。そして、事実認定における経験則の適用につき著しい不当があり、且つこれは審理不尽ともなるものであって、それは明らかに判決に影響を及ぼすべき法令違背として取消されるべきものである。

原判決の右の違法は、一審判決の理由と対比して見るとき、その違法はより明らかとなる。

一 一審判決は「津守ハイツ」に関する一審原告津守ふで、同津守光男の請求を棄却したものの、一審原告津守徳雄についての請求を認め、また「大和センター」についての一審原告津守光男の請求を認めた。

しかるに、原判決は一審判決につき右の「津守ハイツ」についての一審原告津守徳雄勝訴部分及び「大和センター」の一審原告津守光男勝訴部分をすべて取消し、右各当事者の請求をすべて棄却した。そして、これを根拠づけるべき理由として、その第二項の2において(一)から(十六)までに分ち、認定事実を列挙した上、3において以上の認定の事実から「津守ハイツ」につき、上告人津守徳雄もその三分の一の共有持分を、また「大和センター」につき上告人津守光男が、その四分の三の共有持分を有していたものとして、その資金を拠出した基治は、右持分の割合に相当する資金部分を津守徳雄及び津守光男に贈与したと理由づけたのである。

二 ところで、被上告人の上告人らに対する本件贈与税決定については、実質課税の原則に基づきその資金贈与事実を、被上告人が主張立証すべき義務を負担するものである。

本件に則して述べれば、「津守ハイツ」の建築資金について基治から上告人津守徳雄に、また「大和センター」の取得資金について基治から上告人津守光男に贈与があったか否かが本件の争点ということになる。

しかるに原判決の理由中、先の列挙事実はいずれもそれが基治の徳雄及び光男に対する資金贈与を理由づけるものとは到底言い難いものであり、且つその認定事実はむしろ贈与を否定すべき矛盾した事実の挙示もある。

にも拘らず、これをも含めて贈与の理由とする原判決は明らかに贈与当事者間の関係についての社会通念に関する経験則の適用上到底認められぬことを積極的に認定した違法があり、しかもその理由相互間の明らかな矛盾、そごも原判決が取消されるべきものとなっている。

三 一審判決理由を御覧頂きたい。

被上告人の本件贈与主張はいずれも簡単にいえば「津守ハイツ」についてはその固定資産課税台帳に所有者として、ふで、光男、徳雄の三名の記載があったことに税務署員が気付いたということを根拠にするにすぎず、また「大和センター」については、その不動産登記簿に光男が四分の三、基治が四分の一とする持分登記が存在するということを理由とするにすぎない。

あとは、その記載の訂正をすれば贈与税決定は取消すとの処分庁側の態度にも拘らず上告人光男がすみやかにこれに応じなかったから、処分を維持したという事後処理問題の弁解をしているにすぎないのである。

従って、処分庁側の本件課税認定はあくまでその程度の資料にしか過ぎぬものを理由に贈与を推認したというのが実態なのである。これについては、一審以来まず上告人徳雄については、到底贈与があったなどと認定することのできない贈与認定反対事実を一審原告側が指摘主張し、一審判決もこの点を具体的争点として事実認定をした上で「基治は、津守ハイツについては……原告徳雄を所有者とする意思は全くなかった……」と結論づけたのである。

即ち、一審判決は基治夫婦と上告人徳雄夫婦との関係及び津守ハイツとのかかわりにつき、

〈1〉 基治夫婦と原告徳雄夫婦とは折り合いが悪かったこと。

〈2〉 昭和四四年四月四日には基治は原告徳雄に含むところがあって、自己の資産を、ふでと光男の二名のみに遺贈するが上告人徳雄には一切財産を贈与しない旨の遺言をするまでとなっていたこと、

〈3〉 昭和四五年頃から基治は面倒な事は自らしないようになり、すべて光男に任せるに至ったので光男は基治の印鑑等を保管していたこと。

しかし、一方基治は、長男である徳雄に対しては、光男に対するが如きかかる対応を全くとらなかったこと。

〈4〉 基治は、昭和四七年一〇月頃「津守ハイツ」の建築計画を立て、ふで及び光男に相談して光男が建築全般の具体的な手続きを担当するようになったが、上告人徳雄に対してはかかる相談など全くもちかけなかったこと。

〈5〉 建築着工のため、基治を含む津守家全員は光男名義の家屋(津守ハイツが国府二丁目に対し、一丁目所在)を仮住まいとして移住し、津守ハイツの建築完成後、基治、ふで、光男は津守ハイツに移り住み、更にその後、その三名は基治の持家に転居することとなったが、上告人徳雄とその妻及び子供らは光男名義の家屋に残ったまま別居状態となったこと。

〈6〉 「津守ハイツ」からの賃料や保証金収入は、大阪銀行に開設された基治名義口座に入金していたこと。

入居者の募集には光男と基治が当り、賃料は光男が主として集金し、ふではこれを手伝い、また「津守ハイツ」の掃除などをしていたこと。

〈7〉 しかし、上告人徳雄は「津守ハイツ」の家賃を一銭も取得したことはなく、自ら固定資産税を支払ったことも、全くなかったこと。

を認定した。

これらの認定事実はいずれも基治が、上告人徳雄に津守ハイツの所有権を与えた事実があるか、即ち処分庁が主張する資金贈与があったといえるかの争点をめぐる重要なポイントであったものである。そして、一審判決はこれをむしろ贈与があったとはいえない否認事実と認定して「基治は、津守ハイツについては徳雄を所有者とする意思は全くなかった」との判断を下したのである。ところで、原判決の理由はと見れば、その内容は大略一審判決の右理由と同じである。だからこそ、少々一審判決の認定事実とその記述表現を換えてみたところで原判決の理由はそれをいくら読んでも到底贈与認定の理由とはなりえないのである。原判決の理由の不備はこのことに原因するのである。

四 しかも、原判決は2の(三)において基治が徳雄に贈与したかどうかの争点につきその否定的事実として重要な「基治と徳雄との折り合いの悪さ」についてもこれを認定している。

即ち「徳雄の妻定子と基治及びふでとの折り合いは嫁としゅうと及びしゅうとめとの関係として」良好でなかったと認定しているのである。

右認定事実の内、特に重視されねばならないのは、甲第四五号証公正証書(昭和四四年四月四日作成)の内容である。

これは基治が自ら大阪法務局所属公証人西山の許に出頭して作成してもらった遺言公正証書なのであるが、その内容は当時基治が所有していたすべての不動産をふでと光男だけに遺贈するというものであり、即ち徳雄には相続させないというものである。かかる遺言を公正証書形式を用いてあらかじめ作成せしめた事実は基治が徳雄に本件贈与などすることはけっしてありえないと推認すべき重要な証拠と考えるべきものである。かかる客観的事実を物語る重要証拠を無視し、処分庁主張に反する書証を排斥しておいて、本件処分庁に勤務していた職員の証言を控訴審で聞いたということだけで、一審判決をくつがえすなど到底国民の納得を得べき判決などというわけにはいかない。

しかし、原判決はこの贈与否定事実を評価すべき右事実をその判決理由の2の(三)においてあげているのである。

これは、理由不備及び理由そごの典型的なものというべきであろう。

原判決は一審判決が詳しく且つ説得力のある筆致でこの事実を認定し記述しているところを認めざるを得ないためこれを認定事実としてあげてはいるが、「同居生活を継続し得ないほど険悪な関係ではなかった」などと誤った認定を書き加えて極力その重大性に目をふさごうとする。しかし、事実は「同居生活を継続し得ないほど険悪な関係ではなかった」のではなく、逆にそれまでは基治の財産分けから全く排除されその関係の枠外に置かれてしまうことをおそれた徳雄が、食事を別々にするような「折り合いの悪い」状態にありながらなおも我慢して同居に固執していたのであったが、しかし「津守ハイツ」の建築着工を契機についに基治及びふでと、徳雄夫婦とは完全に別居してしまったのであって、その時期はまさに問題の津守ハイツ完成後だけに、この別居が重視されねばならないのである。徳雄に贈与したのなら、どうして家賃も敷金も基治名義の口座に全部入れてしまって一銭たりとて徳雄に渡さないなどということがありえようか。

原判決の理由は、その中に贈与否定を推認すべき重要な事実をも認定して列挙しており、それはその結論である贈与事実と全く相矛盾する関係にあるのである。本件処分の主張立証責任が被上告人にあることからしてもその結論は全く理由を欠いたものだといわざるを得ない。それは原判決が一審判決の事実審理とこれに基づく判断を軽んじ、課税庁に傾斜した審理姿勢をもっていたからに外ならない。

五 また、原判決は理由2の(十一)において本件課税調査当時、調査担当者に対し如何なる対応乃至発言をしたかを、それぞれの発言者名をあげて(1)から(6)まで認定しているのであるが、それを検討してみるとむしろ基治は一貫して上告人徳雄に対する贈与を否定していたことが認定されるのであって、これでは到底処分認容の理由とはなり難く、この点も原判決の理由に不備とそごを生じたことの特徴点となっている。

六 原判決は理由の3において、基治と上告人徳雄との折り合いが悪かったことを示す客観的事実として、基治の葬儀につき、光男が喪主となり、徳雄が長兄であるにも拘らず喪主をつとめなかった事実について、これを「光男の方が基治と密接だったから光男の方が適当であることは、その関係者においても十分に理解されていたと考えられる」からなどと、勝手に認定をしているが、争点をめぐる重要な問題点を証拠もなしに勝手に解釈して認定した違法は歴然たるものといわざるを得ない。

しかも、その理由たるや説明文としても極めて不十分なものといわざるを得ない。上告人徳雄は基治の長男である。しかも、同じ国府一丁目内のごく近く(五〇M以内)に、右上告人は居住しているのである。かかる場合、長男が喪主を務めるのが世間一般の常識である。もしごく近くに居住する長男が喪主をつとめず、かわって次男が喪主をつとめれば、それは葬儀参列者に異様の感を与えることになり、かかる事態は旧村居住者達の間では世間体を考え極力避けようとするものである。

それにも拘らず、あえて上告人徳雄が喪主とならず、光男が喪主を務めたところに、本件贈与などありえない基治と徳雄間の人間関係を見てとることができるのである。

従ってこの部分の理由は原判決の理由たりえない。むしろ、これとは反対の事実を記述しているものというべきものである。

七 「大和センター」についても原判決の理由は理由たるに値せず、理由不備の違法がある。一審判決は、処分庁の主張である上告人光男名義での所有権移転登記及び木田物件についての所有権移転請求権仮登記の存在を同上告人が真の所有者であることを推認させる重大な徴憑だとしたところを批判し、次のとおり述べている。

「確かに一般論としては、資金出捐者が対価を得ずに第三者名義で不動産を取得した旨の登記を経た場合には、そのような登記が作出されるについて出捐者の意思が関与しているのが通常であるから、そこに出捐者の第三者に対する贈与意思が顕現されていると見るのが経験則に合致すると思われる。そして、右の経験則は、資金出捐者が第三者名義で不動産を取得したが仮登記を経たに過ぎない場合や、第三者名義で建築確認通知を得て建物を建築したが保存登記をするに至っていない場合にも妥当するということができる(建築確認通知書はその申請人の建物所有権の取得を証する一資料として、建物の表示登記をする際に必要なものであり、表示登記において表題部に所有者と記載された者は他の資料を要せずして保存登記を申請できることになる)。しかしながら、資金出捐者の意思が関与せず、殊に出捐者の意思に反するような経緯によって第三者名義の登記や状況が作出された場合には、右経験則は必ずしも適用されないというべきである。本件についてこれをみると、原告光男は、昭和四五年頃から基治の印鑑等を預って自ら諸々の手続に携わってきたものであり、津守ハイツ建設工事請負契約の締結、建築確認申請手続の委任、全大和センターの購入といった手続はすべて原告光男によって行われ、しかも津守ハイツの工事注文者に原告徳雄を加え、大和センターの登記名義を基治と原告光男の共有とし、木田の物件の登記名義を同原告とするについては原告光男の恣意が介在していたことは既に認定したところであり、右事実に照らすと、本件においては安易に被告主張のような推認をすることは避けるべきである。

2 被告は、藤井寺市吏員が固定資産課税のために現地調査をした際、基治から津守ハイツは原告らの所有であるとの答述を得た旨主張し、成立に争いのない乙第九号証には右主張に沿う右吏員の供述が記載されており、その内容は同人において原告らの名前の読み方を基治に尋ねたなどかなり具体的である。しかしながら、基治の遺言の内容、基治の葬儀の際に原告光男が次男でありながら喪主を務めたこと、津守ハイツ建設について原告徳雄は基治から何ら相談を受けなかったことなどからすると、基治と原告徳雄とが不仲であったことは明らかであり、当時の状況からして基治が原告徳雄にも津守ハイツを所有させる意思であったとは到底考えられないこと、さらに、右吏員の質問内容を高齢の基治がよく理解して答えたかについては疑問があること(例えば、基治は原告らの名前の読み方という簡単なことについてはすぐに答えたものの、それ以外の質問については明確な返答をしなかったとも考えられる)に照らして、乙第九号証の内容はにわかに採用し難く、他に基治が原告徳雄にも津守ハイツを所有させる意思があった事実を認めるに足りる証拠はない。」

この一審判決の見地はまさに、光男名義人の登記につき基治が、これを認識し且つ容認してなされたものであるかどうかを、問題としこれを欠く場合には、処分庁主張の推認機能は働かないとするものであって極めて正しいものといわざるを得ない。

ところで、原判決はこの点については全く判断を下していない。

一審及び二審で、登記の記載があれば、贈与が推認されるとの被上告人主張が具体的争点として争われ、一審判決がこれに詳細な理由をのべて判断しているにも拘らず、これに全く触れずに無視するなどは結局においてその理由が不備であることを示すものというべきであろう。

尚、原判決は理由の2の(四)において、要旨基治及びふでは昭和四五年ごろ以降、同人らにおいてなすべき所有財産の管理処分を光男に包括的に委任した旨を記載している。これは一審判決がその理由二の1の最後の部分で認定したところに「処分まで包括的に委任した」と付け加えたものであるが、これは証拠によらざる認定部分である。基治が贈与したかどうかが重大な争点となっている本件において、光男が基治の財産の処分権限まで含めて、包括的に委任を受けているのだから、基治が本件贈与を個別的に認識していなくても、徳雄にもまた受任者たる自分に対しても光男が代理人として贈与ができるといわんばかりの書き方である。しかし、もしそうなら理由としてはっきりそのことを書くべきものであろう。そうでないから理由不備だということになるのである。こうしたはっきりしない理由の書き方になったのは、おそらく処分庁が控訴審になってはじめて提出してきた乙第四三号証の「委任状」を根拠としたものであろうが、これは証拠の読み方を全く誤っているのであって、この批判は昭和六〇年五月三一日付被控訴人ら準備書面第三項の記載のとおりである。この書面で光男の権限論は徹底的に批判しつくされており、これに対する反駁をなし難かったので、原判決の理由は先のとおりの曖昧なものになったものと見ることができる。

いずれにせよ右の次第で原判決は取り消しを免がれない。

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